昔はあれこれ新しいものに手を出していた。例えば新しいケータイとか、新しいWebサイトとかである。雑誌をこまめにチェックし、電気屋に行けば新しいケータイを手にとっていたし、新しいWebサイトの話を聞くとすぐ登録して使ってみたものだ。
しかし最近、そういうことが減った。ケータイは今使っているもので満足しているし、Webサイトも同様だ。すると当然、生活が新鮮味を失い、世界は単調な灰色になってしまう。困った。
より正確に言えば、新しいものに興味はそそられる。しかし、食指が動かない。「ちょっとおもしろそうだが、どうせ大したものではないだろう」と考えてしまうのだ。
見方を変えれば「賢くなった」とも言えるが、本人としては心ときめく機会が減ってしまい、悲しい。
最近も2つのものに興味をそそられている。あるプログラム言語とあるWebアプリケーションである。だが、どちらにも手を出せずにいる。
言い訳を言わせてもらえば、手を出して中途半端に終わるのがいやなのだ。手を出したけれど途中で投げ出してしまったものが、私にはたくさんある。その轍をさらに踏むのが、いやなのだ。
大切なことは何か。それは、「適切な規模」のものに手を出すことだ。例えば昔、私は別のプログラム言語に取り組んで、途中で投げ出してしまった。何がまずかったのか。「規模」を読み間違えたのだ。「規模」が大きすぎた。「適切な規模」ではなかったのだ。
ではいま興味をそそられている2つの事柄の「規模」はどうか。あるプログラム言語(Ruby on Rails)とあるWebアプリケーション(Moodle)のことだ。2つとも「規模」が大きすぎる。すなわち、途中で自分が投げ出す危険性が高い。
思うに、この歳になると今までの自分を拡張することはできても、新しい何かを一から修得することは難しい気がする。例えば私はHTML言語はわかるので、その拡張であるXML言語も勉強しやすい。しかし全く新しい言語(例えばPHP)を勉強しても身につけることは難しい。
・・・なんだか以前も同じようなことを書いた気がする。新しいことを勉強しても維持できないのだ。なぜなら、既にあるものを維持するのにリソースを使い切ってしまっているからだ。
となると、既にあるものを切り捨てるしかない。うーん、ネット捨てるか?うーむ、うーむ。